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第83話 密教の仏[10] 阿弥陀如来i

阿弥陀如来ほど、一般社会に認知され、成仏への手立てとして頼られる仏はあるまい。

「南無阿弥陀仏」の唱名も「ナンマンダブ」が「ナマンダブ」に短縮され、浄土教等の宗派色や阿弥陀仏が本尊でなくとも、全国規模でこだわり無く唱えられ、今に至る。

これは平安末より鎌倉時代に至る動乱と混乱の社会不安(飢餓・飢饉・疫病・政情不安・武士の台頭)を、西方極楽浄土に往生するという、一縷の光明に縋るという民衆の切なる願いと、仏の功徳が一体となった為と言える。

阿弥陀如来は、「無量寿如来」「無量光如来」とも別称され、時間的と空間的な無限の徳を表す言葉で銘々されている。

「無量寿経」には、前世においては比丘であり、二百十億に及ぶ仏国に遊び、全ての善悪を見て大願を興し、気の遠くなるような時間を経て、更に更に長考を重ねて四十八の誓願を成就させ、阿弥陀仏として成仏し、今もなお西方極楽浄土にあって、衆生を救済する説法を続けているという。

四十八の誓願の主なものは、「住正定聚願=全ての人や神が悟りを得なければ仏とは成らない」「光明・寿命無量願=光明や寿命に限りがあるならば仏と成らない」がある。

又尚且つ、至心に阿弥陀仏を褒めたたえ、阿弥陀仏の浄土に成仏(往生)することを願い、一心に念仏(南無阿弥陀仏)すれば、十声の称名(御十念)で、成仏必至という。

顕密二教にとって、重要な仏なのである。

at 17:24, houwa-sugano, ちょっといい話

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第82話 密教の仏[9] 勢至菩薩ii

一周忌は、大勢至菩薩を本尊として修す。

前項で述べたように、阿弥陀如来の脇侍仏として、観世音菩薩と共に極楽浄土への往生を促すことを徳目とする。
因に観世音菩薩は百ヶ日忌の本尊であり、慈母として慕われ、四十九日忌に仏界へ旅立たれた(旅立ちをして既に五十日も過ぎると、旅馴れし、極楽へ向かうこともしばし忘れる)精霊を、大慈大悲の大らかな慈愛で包み、寄り道したり、迷路へ迷い込まないように、優しく促し、正しい路を指し示すのである。

勢至菩薩は慈父である。観音さまのように慈しみと優しさは、表に現れない。旅立ちをして一年も経ち、慣れきった(初めてパスポートを得て海外へ行き、不安と臆病で添乗員から離れなかった者が、二度三度と出掛けるうちに度胸が付くのか、自分勝手な行動をとり始めるのと似る)極楽への旅行者を、厳父のごとく諌め、智慧溢れる道理で諭して、輝く光明に照らされた極楽への真っすぐな路を、力と勢いを持って導くのである。

仏教者の願いと祈りは、精霊が極楽へ往生することにある。後を振り返ったり、寄り道は成仏の妨げである。この万人の願いは、顕密を問わず共通である。一日も早い、成仏を願うのである。

勢至菩薩の祥月日は、旧暦毎月二十三日である。この日の月の出は明け方であることから、全国津々浦々で講が立ち、月の出を待って寺に篭もる「月待ち篭り」が流行した。

at 17:24, houwa-sugano, ちょっといい話

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第81話 密教の仏[9] 勢至菩薩i

  勢至菩薩は、通常では計りきれない大きな功徳を表す「得大(とくだい)勢至菩薩」といわれ、大勢志・大精進とも呼ばれる。

 名前の如く、得大な智慧の勢いをもって、直路(真っすぐな路)を示して、極楽浄土へ至らしめるという徳目を備える。

 浄土教では一尊で祀られることは稀で、前項の観世音菩薩と一対で、阿弥陀如来の脇侍仏として、合掌したお姿で左右に在り、往生思想に反映されて信仰され、全土に阿弥陀三尊として祀られた。

 又、常に観世音菩薩とは対向して信仰され、その徳目も観音様は慈母の恵愛と寿命無量を、勢至様は慈父の尊厳を慕われて光明無量を、前者が大慈大悲で大衆を教化するのに対し、勢至菩薩は智慧の光明をもって、普く衆生を済度するという如くである。

 「觀無量寿経」には、「知恵の光をもって、普く一切を照らし三塗(さんず)を離れ無上の力を得る」と説かれ、苦しみや迷いの世界に在る者を、三世に亙って広遠に続く悲願と、十方自在に巡らす神力を駆使して、智慧(釈尊の教えの理論や道理で、世の全て見通す、或いは理解して認識する賢さ)の光で包み、衆生を抱きかかえて成仏を促すという。 密号を持輪金剛・持光金剛・転輪金剛・空生金剛。

お姿は、身体は肉色。頭は五つに髷を結い、冠を付け、左手に蓮華花(或いは未敷蓮華)を持ち、右手は胸で印を結び、赤い蓮華座に坐す。

at 17:23, houwa-sugano, ちょっといい話

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第80話 密教の仏[8] 観音菩薩ii

 観世音菩薩は、百ヶ日忌の本尊である。

 百ヶ日忌は、卒哭忌(そっこくき)といわれ、涙の乾く日という意味で、故人への想いや嘆きや慟哭も、重ねる日々が癒してくれて、胸の内に深く沈んでいくからであろう。

 何故百日目に修すのかは、解らない。

 多分神道の百日祭祀か、百観音の由来からと想像するが、一心の南無観世音菩薩の唱名は、数え切れない妙智力の救いを得る。

 この祈願への救いの多さを百に譬(たと)え、仏界へ旅立つ精霊の百日を越える節の日とを、重ね合わせたのではないかとも思える。

 「みる」という漢字には、「見=人と目の合字で、みる事が転じて<あらわれる>や<会う>という義」や、「看=手と目で、手をかざして遠くを<みる>や、額に手をあてて熱を<はかる>」などがあるが、観音様の「観・觀」は、諦視即ち「明らかに良く視る」「つまびらかに見る」の事で、目の前や近隣、遠くても自眼で見える範囲という狭義では無く、世の全てを見通す、内面をも透視してしまうほどの観察力をいうのであって、「世の中を自在に」「世の音(救いを求める声)を聞き漏らす事なく」知見するのである。

 衆生の生業とする全ての姿に応じて変身して現身し、様々な願いや懇請にも即時対応できる、民衆救済に徹した仏といえる。

 又、仏には性別は問わないが、容姿から「慈母」と慕われ、母胎に包まれる安心が、成仏へ導く大らかな慈愛を育むのである。

at 17:32, houwa-sugano, ちょっといい話

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