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2008.09.24 Wednesday
第74話 密教の仏[5] 地蔵菩薩ii
地蔵菩薩は三十五日忌の本尊である。
地蔵菩薩は閻魔尊とも同体(本地垂迹説=仏が衆生救済に際し、先ず仮に神となって現れる事)で、インドにおいては地蔵菩薩(本地=ほんじ)だが中国・日本では閻魔王(垂迹=すいじゃく)として、鎌倉時代以後、民間信仰に支えられて、きわめて異様(?)な、又畏敬を持って礼拝されて来た。
五七日忌は、仏前仏後の中間であり、「閻魔法王の断罪の庭、新亡精霊昇沈の境なり」といわれ、新精霊が閻魔王の前に呼ばれ、傍らの浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ=冥界の鏡)に一生涯が克明に映しだされ、その結果で天界(極楽)への入場券が支給されるのである。勿論、逆方向の場合もある。
天界でないほうの券を支給されたものは、どうしたら良いのか?前言通りである。
閻魔尊と地蔵尊は同じ仏であり、生死を繰り返す、迷いと苦しみの六道の全てに在って救済する役目が在ると言うことも述べた。
地蔵尊の慈悲で全て救済されるのである。
近年は、何故か五七忌は修されない。果たして無事極楽へ辿り着けるだろうか。
又、親より先に亡くなる不幸で、子供は賽(さい)の河原をさ迷うといわれ、地蔵尊は河原に居て、子供を見つけては袈裟で隠し包み救い続ける。だから親は、亡き我が子をいち早く地蔵尊に発見されるよう、生前身につけた(子供の匂いがついた)よだれ掛けや帽子を、地蔵尊に着せるのである。
地蔵菩薩は閻魔尊とも同体(本地垂迹説=仏が衆生救済に際し、先ず仮に神となって現れる事)で、インドにおいては地蔵菩薩(本地=ほんじ)だが中国・日本では閻魔王(垂迹=すいじゃく)として、鎌倉時代以後、民間信仰に支えられて、きわめて異様(?)な、又畏敬を持って礼拝されて来た。
五七日忌は、仏前仏後の中間であり、「閻魔法王の断罪の庭、新亡精霊昇沈の境なり」といわれ、新精霊が閻魔王の前に呼ばれ、傍らの浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ=冥界の鏡)に一生涯が克明に映しだされ、その結果で天界(極楽)への入場券が支給されるのである。勿論、逆方向の場合もある。
天界でないほうの券を支給されたものは、どうしたら良いのか?前言通りである。
閻魔尊と地蔵尊は同じ仏であり、生死を繰り返す、迷いと苦しみの六道の全てに在って救済する役目が在ると言うことも述べた。
地蔵尊の慈悲で全て救済されるのである。
近年は、何故か五七忌は修されない。果たして無事極楽へ辿り着けるだろうか。
又、親より先に亡くなる不幸で、子供は賽(さい)の河原をさ迷うといわれ、地蔵尊は河原に居て、子供を見つけては袈裟で隠し包み救い続ける。だから親は、亡き我が子をいち早く地蔵尊に発見されるよう、生前身につけた(子供の匂いがついた)よだれ掛けや帽子を、地蔵尊に着せるのである。
at 11:11, houwa-sugano, ちょっといい話
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2008.09.17 Wednesday
第73話 密教の仏[5] 地蔵菩薩i
地蔵菩薩ほど、伝来(奈良時代)以来、延命、子育てなど、様々に呼称され、社会や大衆に支えられ続けている仏はいまい。
もともと菩薩なので菩薩界に住する仏であるが、釈尊入滅後、次の未来仏(弥勒菩薩)の成仏までの無仏の時(五十六億七千万年後・・・ちなみに釈尊滅後現在で約二千五百年)に声聞界に在って、迷えるものを(衆生)済度する役目があり、寺院の門前や町の辻々に剃髪の比丘(僧形)で、宝珠と?杖を持つ、可愛い姿を見かけると思う。
また、六道能化地蔵願王菩薩と呼ばれて、衆生が生まれながらに備わった生活活動によって生死を繰り返す、迷いや苦しみの世界を六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)というが、それぞれの道に在って難儀する者を教化し救済する意で、「六地蔵尊」と呼ばれ、六対並んで建立されるのも常である。
原名はクシティガルバで、「大地」を「蔵(胎)」するという義で、大地のような頑固な菩提心で、諸々の苦しみを受けても破壊されない、尽きることの無い徳を有すという。又、衆生に代わって苦しみを受ける「代受苦」の十二の誓いをもつという。
密教では密号を、悲願金剛・悲愍金剛・与願金剛と称し、宝珠と幢、錫杖を持つ。
胎蔵曼荼羅に現される尊形は、体は肉色で、右手を挙げて日輪(宝珠、月輪)を持ち、左手は拳を腰に当て、蓮華(先端に宝幢幡がひるがえる)の茎を持ち、赤い蓮華座に坐す
もともと菩薩なので菩薩界に住する仏であるが、釈尊入滅後、次の未来仏(弥勒菩薩)の成仏までの無仏の時(五十六億七千万年後・・・ちなみに釈尊滅後現在で約二千五百年)に声聞界に在って、迷えるものを(衆生)済度する役目があり、寺院の門前や町の辻々に剃髪の比丘(僧形)で、宝珠と?杖を持つ、可愛い姿を見かけると思う。
また、六道能化地蔵願王菩薩と呼ばれて、衆生が生まれながらに備わった生活活動によって生死を繰り返す、迷いや苦しみの世界を六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)というが、それぞれの道に在って難儀する者を教化し救済する意で、「六地蔵尊」と呼ばれ、六対並んで建立されるのも常である。
原名はクシティガルバで、「大地」を「蔵(胎)」するという義で、大地のような頑固な菩提心で、諸々の苦しみを受けても破壊されない、尽きることの無い徳を有すという。又、衆生に代わって苦しみを受ける「代受苦」の十二の誓いをもつという。
密教では密号を、悲願金剛・悲愍金剛・与願金剛と称し、宝珠と幢、錫杖を持つ。
胎蔵曼荼羅に現される尊形は、体は肉色で、右手を挙げて日輪(宝珠、月輪)を持ち、左手は拳を腰に当て、蓮華(先端に宝幢幡がひるがえる)の茎を持ち、赤い蓮華座に坐す
at 11:10, houwa-sugano, ちょっといい話
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2008.09.10 Wednesday
第72話 密教の仏[4] 普賢菩薩ii
普賢菩薩は、四七日忌(亡くなって二十八日目に修する)の本尊である。
精霊は、先に釈迦如来によって、正しい修行の道を示され、文殊菩薩の道場に入り、成仏に至る知慧を学び、愈々名前の示すように、普く賢い(全ての徳と吉祥を具備した)ものに成就するため、以下の普賢菩薩十大誓願を立て、厳しい修行に勤しむ事になる。
イ.様々な仏様を敬い、五体投地三礼(身体を地に投げ打つように全身で三度礼拝する)をして、礼拝行を怠らない。
ロ.如来(覚者)を褒め称え、唱名する。
ハ.如来に供物(六種の供養.浄水・塗香・生花・薫香・飯食・灯明)を惜しまず、欠かさず供養する。
ニ.過去の罪科を告白し、悔い改める。
ホ.為された善行と功徳を共に悦ぶ。
ヘ.常に機会あるごとの仏の説法を求める。
ト.いつの世も仏の正道が続く事を願う。
チ.いかなる時も、仏の説法を聞き、仏道を学ぶことを誓う。
リ.自分を取り巻く全てを師と敬う。
ヌ.自分を取り巻く全てと功徳を分かち合う。
更に、長寿延命の仏としても汎く信仰され、普賢延命菩薩として礼拝される。
殊に密教では、この普賢菩薩の浄菩提(成仏の境地)を求める心の行願は、極めて重視され、真言伝承八祖の第ニ祖一金剛薩埵と同格視され、大日如来の説法の全てを受け継ぐ、修行者として位置付けされる。
精霊は、先に釈迦如来によって、正しい修行の道を示され、文殊菩薩の道場に入り、成仏に至る知慧を学び、愈々名前の示すように、普く賢い(全ての徳と吉祥を具備した)ものに成就するため、以下の普賢菩薩十大誓願を立て、厳しい修行に勤しむ事になる。
イ.様々な仏様を敬い、五体投地三礼(身体を地に投げ打つように全身で三度礼拝する)をして、礼拝行を怠らない。
ロ.如来(覚者)を褒め称え、唱名する。
ハ.如来に供物(六種の供養.浄水・塗香・生花・薫香・飯食・灯明)を惜しまず、欠かさず供養する。
ニ.過去の罪科を告白し、悔い改める。
ホ.為された善行と功徳を共に悦ぶ。
ヘ.常に機会あるごとの仏の説法を求める。
ト.いつの世も仏の正道が続く事を願う。
チ.いかなる時も、仏の説法を聞き、仏道を学ぶことを誓う。
リ.自分を取り巻く全てを師と敬う。
ヌ.自分を取り巻く全てと功徳を分かち合う。
更に、長寿延命の仏としても汎く信仰され、普賢延命菩薩として礼拝される。
殊に密教では、この普賢菩薩の浄菩提(成仏の境地)を求める心の行願は、極めて重視され、真言伝承八祖の第ニ祖一金剛薩埵と同格視され、大日如来の説法の全てを受け継ぐ、修行者として位置付けされる。
at 11:07, houwa-sugano, ちょっといい話
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2008.09.03 Wednesday
第71話 密教の仏[4] 普賢菩薩i
普賢菩薩も文殊菩薩同様、釈迦如来の脇侍仏として釈迦三尊として祀られ、白象に乗る姿で表される場合が多い。
文殊菩薩は智慧、普賢菩薩はその智慧の実践、修行を促し、成仏へ導く。
良く知られる「華厳経」は、この世の全ての凡夫の三業の行いや煩悩が、消滅するまで願うことをやめないという、普賢菩薩の十の大誓願が教えとして説かれたものである。
十大願とは
<1>礼敬諸仏(諸仏を敬い礼拝する)
<2>称賛如来(如来を称賛する)
<3>広修供養(諸仏にあらゆる供養を惜しまない)
<4>懺悔業障(過去の罪科を悔い改め、仏に告白する)
<5>随喜功徳(功徳を共に喜ぶ)
<6>請転法輪(諸仏の説法を請い願う)
<7>請仏住世(諸仏が常にこの世に住して導いてくれることを願う)
<8>常随仏学(常に諸仏に学ぶ)
<9>恒順衆生(恒に諸衆を敬う)
<10>普皆回廻(全ての功徳をあまねく振り分ける)
で、諸々の罪障を滅し、成仏に至る功徳で人々を救済する。
密教においては、本来有している菩提心(成仏の境地の心)を総括する菩薩で、大日如来の眷属で、金剛薩「土垂」(=た。「土ヘンに垂」)と同視される。
密号を善摂・真如・如意金剛。異名を一切平等建立如来、一切義成就菩薩という。
身体は白肉色で、宝冠を載せ、左手の親指と人指し指で蓮華を持ち、花上に火炎の剣、右手は印を結んでいる。
又、法華経には六本の牙の白象に乗り、行者を守護し、修行を助ける姿で登場する。
文殊菩薩は智慧、普賢菩薩はその智慧の実践、修行を促し、成仏へ導く。
良く知られる「華厳経」は、この世の全ての凡夫の三業の行いや煩悩が、消滅するまで願うことをやめないという、普賢菩薩の十の大誓願が教えとして説かれたものである。
十大願とは
<1>礼敬諸仏(諸仏を敬い礼拝する)
<2>称賛如来(如来を称賛する)
<3>広修供養(諸仏にあらゆる供養を惜しまない)
<4>懺悔業障(過去の罪科を悔い改め、仏に告白する)
<5>随喜功徳(功徳を共に喜ぶ)
<6>請転法輪(諸仏の説法を請い願う)
<7>請仏住世(諸仏が常にこの世に住して導いてくれることを願う)
<8>常随仏学(常に諸仏に学ぶ)
<9>恒順衆生(恒に諸衆を敬う)
<10>普皆回廻(全ての功徳をあまねく振り分ける)
で、諸々の罪障を滅し、成仏に至る功徳で人々を救済する。
密教においては、本来有している菩提心(成仏の境地の心)を総括する菩薩で、大日如来の眷属で、金剛薩「土垂」(=た。「土ヘンに垂」)と同視される。
密号を善摂・真如・如意金剛。異名を一切平等建立如来、一切義成就菩薩という。
身体は白肉色で、宝冠を載せ、左手の親指と人指し指で蓮華を持ち、花上に火炎の剣、右手は印を結んでいる。
又、法華経には六本の牙の白象に乗り、行者を守護し、修行を助ける姿で登場する。
at 11:05, houwa-sugano, ちょっといい話
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