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第70話 密教の仏3 文殊菩薩ii


 文殊菩薩は三七日忌の本尊である。

 不動尊と釈迦如来により、魔障や煩悩を退けて、成仏を自覚し、更に正しい道の修行に導かれた精霊は、愈々仏としての智慧を修めるべく、文殊菩薩の道場に入ります。

 文殊菩薩の陀羅尼(真言)の功徳は、一遍唱えれば修行者の苦難を除き、二遍で死に代わりの重罪を滅除し、三遍で仏の境地が現前し、四遍で憶いを堅持して忘れず、五遍で無上の菩提を成就し、正しい智慧の三密の説法を聴聞することを得るという。

 正しく、文殊の智慧は成仏なのである。
そこで最近まで絶対にしなかった行為を、敢えて実行していることを報告したい。

 密教の本堂の諸設備(荘厳具)は、その全てをある水準で整えると、建物と同じ位に高価なものであるから、むやみに檀信徒の方々に触ったり、使用させない寺院が多い。
拙寺もそうで、特に鳴り物は磬や鐘や木魚など、打ち方で簡単に割れることもあったりするし、塗り物も粉蒔の大壇等は新米の坊さんにも触らせない。

 しかし今節は、法事に生意気そうな子供が来ていると、ちょっとおいでと誘い、鐘や木魚を思いきり打たせる事にしている。
テレビゲームで育ち、映像を通した音声を全て本物と信じる怖さを感じるからで、自分で鳴らした実音を体感させたいからである。

 知識では悟りは得ない。智慧こそ成仏への手立てだから、文殊は尊いのである。

at 18:46, houwa-sugano, ちょっといい話

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第69話 密教の仏[3] 文殊菩薩i

 「文殊の智慧」の言葉が示すように、大乗仏教の代表的な般若経典では「むしろ仏に代わるほどさかんに活躍し、般若=智慧を完全にそなえて説法を行う」菩薩である。

 文殊師利(もんじゅしり)といい、結集(経典の編集)にかかわり、経典にも対告衆(釈尊の呼びかけ者や質問者)として度々登場することから実在したとされる。

 一般的には、お釈迦様の脇侍仏として、普賢菩薩と共に在って釈迦三尊として仏教請来より礼拝され、諸仏諸菩薩の母といわれ、智慧を特性として信仰された。

 一尊の場合も多く、お姿は、僧形や左右のお手を上下させたものもあるが、手に青蓮華や剣や如意をもち、お経(梵篋)を乗せ、獅子の背に座しているものが多い。

 密教においては、密号を吉祥金剛、般若金剛等といい、金色身で頂の髻をさまざまな数に結い、殊に右手の智剣はお大師様も「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」と説かれ、文殊菩薩の利剣(金剛剣)は誤った考えをすべて絶するものだと強調なされている。左手には青蓮華(諸法に染着されない)を持ち、蓮花弁の上に梵篋(経)を乗せる。

 髪(髻=もとどり)に特徴があり、その数によって智慧の本誓を表し、
   一髻(増益=幸せの増進)、
   五髻(愛敬=和合・親睦)、
   六髻(調伏=魔障や怨敵の摧破)、
   八髻(息災=災難や障りを除く)
の文殊といわれ、無執無我の般若の妙慧で、説法して人々を救済する。

at 18:45, houwa-sugano, ちょっといい話

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第68話 密教の仏[2] 釈迦如来ii


 釈迦如来は二七日忌(十四日目に修する)の本尊である。

 金剛不壊(こんごうふえ)といわれ、ダイヤモンドのように堅固で崇高な誓願で、煩悩や迷いが襲っても、一切揺るがない、破壊されない精神を保ち続ける如来である。

 二七日忌の本尊が釈迦如来というのも、成仏に至るための修行に、最高の師を得て、正しい道を指し示して戴くためであろう。

 お姿は正しい道へ導くために、常に説法を続けるの印(転法輪)を結ばれている。

 基本的な教えは、[三宝印]「四諦(したい)」「八正道」で、三宝印は[諸行無常(すべての物は変化し移り変わる)」「諸法無我(すべての物には根源・実体が無い)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう すべての実体を悟ると透明で静謐な境地が開ける)」。

 四諦は「苦・集・滅・道」で、世の四つの真理をいい、生死は苦しみであり、迷いや苦しみは何時いかなる時も襲い、それを克服(滅)する事が生きることであり、そのために道(八正道)を修めなければならない。

 八正道とは正しい「見かた、思い、言葉、行い、生活、努力、安心、精神」で、捏槃(さとり)を得るための修行である。

 密教では、法身生身の応化身と説き、秘密を易しく説法し、修行に立ち向かわせる尊師であるとし、沢山の経典を説いて、成仏を祈願し、我が子の如く、すべての悪行を除去して、悉くを救済して導くという。

at 18:45, houwa-sugano, ちょっといい話

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第67話 密教の仏[2] 釈迦如来i

 仏教をお開きになられたゴータマ・シッダールタ、釈迦牟尼(釈迦族出身の聖者)、又は釈尊、仏陀と尊称され、説かれた法が経典となり、御身も釈迦如来として祀られ、聖地や誕生日、成道の日、入滅日も礼拝される。 

始めは菩提樹や転法輪で象徴的に表現されたが、人間の姿で登場するのは紀元初年の後半で、東西文化の交流により、ギリシャ彫刻の技術や表現方法が伝えられ、ガンダーラやマトッラーに仏伝中の登場人物として立体化されて出現した。その後、如来像として独立し、形式も完成され礼拝の対象になった。 

仏像は、インドにおいて転輪聖王(理想的な帝王)の特相を、如来像に転用したといわれる三十二相と八十種好(二次的特徴)を備える(曼荼羅に描かれても同じ)。 

幾つかを列挙すれば、頭上の肉髻(髷のような盛り上がり)、右旋の毛髪や体毛、眉間の白毫、白く輝く四十本の平らな歯ならび、手が長い、手足の指の水掻き、手足の輪のしるし、皮膚が金色で獅子のように威風堂々として何事にも恐れない等である。 

密教においては、「密号を寂静金剛。生身の釈尊とは異体で、大日経には変化法身と説かれ」衆生を教化する。金剛界では「不空成就如来(すべての迷いや煩悩を断ち、悟りの境地で、一切を円満に成就する)」で現身し、胎蔵界では釈迦院の主尊で金色身で説法印(吉祥)を結び、或いは天鼓雷音仏(てんくらいおんぶつ)として北方に配される。

at 18:43, houwa-sugano, ちょっといい話

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