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第48話 平和への祈り

 米国の、テロ組織やタリバン政権に対する軍事報復は、依然として過激に続いている。

 被害も続出し、兵士は勿論一般民衆にも及んでいるらしい。兵士も国民も、人間同士なのだから命の尊さには変わりは無い。

 それは攻める側の米国も同じで、無差別なテロに遇われた無くなった方も、今兵士として兵器のボタンや、引き金に指をかけている者も、同じに尊い命の保持者である。

 21世紀を迎え、素晴らしい文明文化の発達、科学万能の現代で、宗教や民族が異なるだけで(外にも原因はあるが)、殺し合う醜さは、おろかで悲しくて、これこそ神の加護は無いのだろうか。

 「信ぜよ、信じるもののみが救われる」と、他の神の存在を認めず。神の名において宗教対立を繰り返す。よく考え、真実を見いだし、自分で結論もださぬまま、戦地へ駆り出され、年端のいかぬ子供まで洗脳し、疑いさえも持たぬまま、尊い命を失わせる愚行を、教主自らが発信し、世界規模で種をまいている。

 幾千の犠牲となった方々の尊い命を、世界平和の発信の糧に、米国が呼びかけたら、素晴らしい平和への未来は拓ける。

 米国にも、京都議定書離脱や世界人種差別反対会議ボイコットなど、一国主義的外交への批判はある。

 恩讐越えた赦しは、必ず宗教にはある。

 寛大な神の御名の呼びかけに期待しつつ、世界平和の道を祈りたい。

at 11:48, houwa-sugano, ちょっといい話

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第47話 軍事報復

 米国のブッシュ大統領は、今回の卑劣極まりない衝撃の大惨事を、イスラム過激派による同時多発テロと確認し、国内外に表明後、直ちに世界各国の理解と協力を求め、無差別テロの撲滅へ軍事報復の対決姿勢を示した。

 それは、「新しい種類の戦争だ」として、「テロ支援国家が判明すれば、徹底した代償を支払わせる」と言う、極めて徹底した過激な発言で、戦争に発展する可能性をほのめかしたものといえる。

 我々は、米国民の痛みと悲しみの慟哭と忿怒は察してあまりあるし、犠牲となられた方への慰霊は心から捧げるが、二十一世紀の今に「眼には眼を」「やられたら、やり返す」のような過激な判断で、報復に報復を重ねず、犠牲となられた尊い命と怒りを、平和を促す提言と祈りに昇華すべきと願う。

 もとより世界の平和を希う気持ちは誰もが一緒だが、ソ連の共産主義が崩壊後、東西の冷戦は大きな平和への光明をもたらしたかに見えた、つかの間、ヘルツゴビナ、東チモール等、世界の民族間の紛争は絶え間ない。そして背景には必ず宗教や貧困が見え隠れする。

 宗教や貧困がなぜ紛争を呼び起こすのか。不思議でならない。

 宗教と貧困の陰に、戦争による多大な裏ビジネスがあって、紛争でかねを儲ける輩があざ嗤っているようにも思える。

 米国は、尊い幾多の命を報復の口実にせず、争いの無い世界平和への礎として欲しい。

at 11:47, houwa-sugano, ちょっといい話

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第46話 米国多発テロ

 9月11日午前8時45分(現地時間)、丁度午後の10時前後のテレビのニュースを眺めていると、世界貿易センタービルが噴煙をあげる光景が映り始めた。手元のリモコンに触れて、映画に画面が変わったと思った。

実はあってはならない大型飛行機の、ビル衝突の大事故の惨事であった。

 惨劇を目の当たりにして、画面に食い入ると、続いて二棟目のビルにも旅客機が吸い込まれるように接近し、激突し炎と共に燃え、爆発した。さらに約一時間後同じ画面に、遠くワシントンのペンタゴンへの激突、その30分後にはペンシルバニアのピッツバーグ郊外へと、まさに眼を覆う衝撃の大惨事の映像は、世界にリアルタイムに発信され、テロという悪行と悲劇だと知れたとき、不謹慎な表現だが、震撼といいしれぬ感嘆を覚えた。

 行方不明者六千余名、確認される死者も日に日に増えて行く。

 犠牲になられた方々に、心から冥福を捧げます。誠に人の命の尊厳を踏みにじる蛮行は慚愧に耐えない。

 多発テロと表明後直ちに、ブッシュ米国大統領はテレビを通じて全米国民に団結を訴え、「新しい種類の戦争だ」とし、軍事行動による報復の対決姿勢を示した。

 背景には、宗教が見え隠れする。

 軍事報復が、愈々始まった。報復に報復を重ねて、世界平和はあるのだろうか。

 尊い命を、平和への踏み台としてはならない。

at 11:46, houwa-sugano, ちょっといい話

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第45話 「安楽死」を是認するのかII

 もとより「安楽死」など無いという立場で発言をしている者として、死の瞬間に安楽は有るかも無いかも知れないが、死に至る過程は「生」であって、生きがいに強烈な痛みであったり、苦しみであっても、生きるための死との苛烈な戦いが「生」そのものであって、看取る者にとって「見るに忍びない」「早く楽にさせたい」という個人的判断で、積極的に命を断つことは、絶対に是認できない。

 ましてや、その積極的な行為を医師が執行するとしたら、明らかに治療の美名に隠された、行き過ぎた行為であると言える。

 先述のY医師の父親は、確かに終末期で衰弱した容体でも「もんどり打って、手で胸をかきむしって」いたほどの状態である。

 今、死を迎えつつある瞬間だとは紙面の表現では感じられない。

 しかも、「末期がん患者に初めて使う量としては、危険な量」を注射し、「3分、4分みけんのしわが消え」「脈が止まった。10分後の事だった。」と記述していることから、明らかに死を意識して、死なせるために「モルヒネ2アンプル」を父に注射したのだ。

 果たして、Y医師には正しくモルヒネを扱い、疼痛を緩和する技術があったのだろうかの疑問も沸く。何故いきなり致死量なのか?

 医師は治療を放棄し、積極的に死を招いた。今も「死を懇願され、直面して悩む」という。

 悩んだ結果を、死亡診断書に何という病名で記載するのだろうか?

参考記事:8月26日 朝日新聞 朝刊 『父を安楽死させた・・・医師告白』

at 11:45, houwa-sugano, ちょっといい話

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