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第44話 「安楽死」を是認するのか
朝日新聞紙上独自の事だが、本年の8月26日の朝刊に『父を「安楽死」させた・・・医師告白』が掲載され、話題を呼んでいる。
内容は、17年前、ある内科の勤務医(兄も医師)の父親(病院長69歳)が、末期の肝臓がんで、激痛「ひざを抱えながら、もんどり打っていた。手で胸をかきむしっている」に悩み、「今度、苦しんだら麻薬を打ちたい」という父親の予ての希望通り、兄、母、祖母と相談し、「衰弱している末期がん患者に初めて使う量としては、危険な量」モルヒネ2アンプル(20 ?)を「投与した」後、「3分、4分。父の眉間のしわが消えて」、「十分後」に逝去されたと云うもの。
この告白の動機は、「末期で死を懇願する患者を前に、悩み続ける」ことと、「死を唯一の救いとする患者に、医師はどこまで延命を考えるべきか」に医師自身が「いまも直面して悩むことがある」とされている。
今まで紙上に3回の特集が組まれ、二日間で150通の意見や感想が寄せられ、「安楽死」を容認する意見は6割に達したという。
しかし、事後を即時に世に問わず、何故17年後の今告白したのか。死を判断し、法律的に決定できる(死亡診断書の作成)立場の医師は自分の価値観のみで判断し、個人の考えを行使してよいのか。医療麻酔の知識と技術であったのか等、疑問は残る。
17年の月日は、疼痛緩和と医療技術の進歩に隔世の感がある。紹介し次回に考えたい。
【参考記事:8月26日 朝日新聞 朝刊『父を安楽死させた・・・医師告白』】
at 18:29, houwa-sugano, ちょっといい話
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第43話 理解できない「日本人」の変
昨年の夏から常勤職を得て、朝食をかっ込み、自転車に飛び乗り(自坊からJRの駅までの道のりには私鉄の踏切を二回渡るため)回り路で駅に捷り、ラッシュに揺られている。
家を飛び出した瞬間から「何だ!?」と、腹が立ち始める。
小学生が危険な車道を歩く、歩道いっぱいに駐車する車。横一列で怖い者無し女子高生の集団。絶対に避けないおば様の立ち話。自分の大事な(?)荷物には無神経で、背負ったり、脇に抱える、網棚に乗せない迷惑千万の大包み。相変わらずの携帯好き。
注意にも「個人の権利」と言うわけか?
傍らの百科事典によれば、個人主義とは『フランス革命以後に用いられた語で、個々の人間存在はそれ自体何事にも勝る価値をもつと云うことと、自己決定ないしは自律は、個人が周囲に依存しないで一人で熟慮し意思決定を行なうという、人間の尊重と自己決定二つの要素の価値観をもつ主義』を云うのであって、『自己の欲望の充足や利益の追求を専ら年頭において行動し、それが他者や社会一般に及ぼす迷惑を考慮に入れない』のは、自分勝手な利己主義に過ぎない。
でも解せないのは、回りの目や誰かがするとすぐ真似て、消える自己主張だ。
エスカレーターの、滑稽な程に守っている、危険な右側(関西は左側)の駆け登り降り。
こういう時こそ、世論を無視し、他も気にせず、権利を主張して居直って欲しい。
at 18:29, houwa-sugano, ちょっといい話
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第42話 環境保全
我が街F市は、東京駅へ快速で25分、通勤には至便な近郊都市であるために、早くからベッドタウン化し、公団や住宅が林や畑を整地して建設され、都市計画も杜撰だったのか、駅ビルの屋上から眺望すると、中心部の駅周辺の繁雑化はもとより、調整地区の区域を除いては、緑は全く望めない。
辛うじて乱立し始めたビルの間からこんもり見える緑は、神社と当寺の有る杜である。
自坊は狭いながら、境内には数十種の樹木が生い茂り、手入れも間々ならぬが、中でもふた抱え以上は優にある楠の大木が二本、庭中を覆いつくし、自然のありがたさと煩わしさを感じながら共生している。
楠樹は、春若葉をを萌やすと、一斉に昨年の旧葉が落ち始める。掃いても掃いても執拗と言う程に、屋根に溜まり樋を詰まらせ、何処彼処に散りつづける。伐採したらどんなに楽だろう。毎年思うことは同じである。
しかし、春が過ぎて、暑い夏がくると、楠の大木は嘘のように苦労を忘れさせる。
庭を覆いつくす濃い緑は、葉末から涼風を運び、木陰は訪れる参詣者の憩いの場となるし、本堂も大寄せの時以外は空調も点けない。
お墓も落ち葉がいっぱい。蚊は湧くし蛇や鳥もいる。自然との共生には、非文明的生活も強いられる。しかし苦情は多い。
環境保全には、自然の豊かさの陰に、文化拒否の我慢と不自由を満喫するという、価値観の違う摂理も認識して欲しいものだ。
at 18:28, houwa-sugano, ちょっといい話
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第41話 今を生きるIV
群れて街を謳歌する若者や、疎外されたり、独りに閉じこもって、自分だけの部屋でこの時を生きている若者の危うい青春は、それぞれに今を過ごしているわけだが、二度とないとても大切な時を無駄にして、極めて狭い社会でもがいているように感じる。
青少年の心は荒廃し、その生きざまや思考には、大人には理解できないと決めつけるのは簡単な事だが、この先未来の日本を背負って行くのは彼らしかないわけで、今何を彼らに託すのか真剣に考えてみたい。
特定の擬似仲良し仲間(?)や、独り部屋のテレビ・ゲームやインターネットの狭い社会に生きる彼らに、夢の有る広い世界に目覚めてもらうにはどうしたら良いだろうか?
本を読み、価値観や叡知を耕すこと。
旅をして、未知の体験と発見をすること。
映画で、総合芸術と創作の魔術に浸ること。
美術館や画廊で雅味の本質を見抜くこと。
博物館で古人の傑作や凄さを歴史に学ぶ事。
職人技魅せられ、本物を盗み、識ること。
最良の師、先輩、友人に出会うこと。
二度ない人生を、常に祈念し、緊張感を忘れず、瞬時も無駄なく、貪欲に生きる。
感激し感動し感涙をすること。
感銘し感心し感化すること。
感得し感受し感応すること。
感懐し感傷し感謝すること。
感性を磨くこと。
難しいことなのかな?
at 18:27, houwa-sugano, ちょっといい話
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