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第40話 今を生きるIII
高校生達が良く使う「シカト」という言葉は、無視するという事だが、もとは賭博用語で、花札の十月札が紅葉に鹿の絵柄で、鹿がそっぽを向いて紅葉を見ないことから、知ってて知らぬ振りをすることを、「しかとお(鹿と十月札)」と言った事が語源らしい。
若者にとって、ともかく「シカト」は極めて重大な行為で、相手にしない、相手にされないの軽いものではなく、仲間外れを宣告されたのと同じで、悪質で陰湿ないじめの手口の始まりの宣言なのである。
「シカト」は、無視だけではない。その子の個性さえ抹殺する。即ち、劣っていたり、優れていたり、良家、貧しい、容姿、強い弱いに拘わらず、平均的(皆と一緒でない)でないもの全てに及ぶ。自分だけ違う事は、拙いことなのである。
別に仲間にされなくても支障はないように感じるが、前話で記述のように、独りっきりで育つ環境は、勿論独りが大好きなのだが、大衆の中にほうり出されると、為す術を失い、うろたえて、身の置き所さえ解らず、途方にくれてしまうのである。
だから親から登校を強制されて、独り苛めに耐えていたり、登校拒否で抵抗する、現代の教育問題を喚起しているのだ。
皆一緒のルーズソックスには、青少年の言えぬ苦しみが隠れているように思える。
at 18:26, houwa-sugano, ちょっといい話
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第39話 今を生きるII
戦後の生活環境と所得の向上は、個々に持ち家に住むという願望を実現し、大家族から核家族へという社会現象が生まれ、家族がこれまた個々に部屋を持つという文化に発展し、間取りに合わせたのか、少子化という現実が起こった。
それに伴い、子供達は生まれた瞬間から、私室を持ち、他に犯されない自分だけの空間を所有する、恵まれた環境に育つ。
この高い文化の状況は、偏に様々な発展のお陰だが、冷静に視すると、このことによる社会問題や弊害も提起され、時代が進むにつれて、重大で看過できない事象の、起因となっていることに気が付く。
青少年の今様も、彼らの文化観やトレンド(傾向)も、この辺の視点から俯瞰してみると、やはり起因は同じで見逃せない。
独りで育つ環境は、極めて快適である。
自分の周りを囲む空間は、他に気兼ねは要らないし、鍵も掛かる。好きな時に何でもできるし、嫌いなことはする必要もない。
他を意識しない長い時間は個を育み、個人主義なら救われるが、利己主義が培養される。
しかし一度、学校の共同生活を強いられると、独りの才覚では共生もできない。
仕方なく力ある者は腕力で自分(利己)の空間に従わせ、弱い者も群れて仲間意識をことさら強制して徒党を組む。
仲間外れの者は、悪質で悲惨な苛めに遇う。
この理屈当たっていると思う。
at 18:25, houwa-sugano, ちょっといい話
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第38話 今を生きるI
今様に表現すると、トレンドと言うらしいが、高校生やそれに準ずる若者の行動には、とても危ういものを感じる。
殊にもう一昔前からの流行か、あのルーズソックスというのも、自分を主張するために、ほんの少数や個人がファッションとしてするのは、とても可愛さがあって良いと思うが、日本国中の女子高生が全て同じでは、異様さを感じざるを得ない。
曾て、先輩たちは「太陽族」であったし、僕らの時代も「六本木族」「みゆき族」があったが、群れてはいたが、あくまでも個々のファッションを披瀝していたし、逆に他を自分に取り込もうという主張があった。
だから歴然としたポリシーが有り、無いものは仲間として群れる事もできなかった。
今、彼らを観察すると、あの群れとファッションは、個性の主張よりも仲間意識の確認で、制服と同じに思える。とにかく同じ格好をしていれば、仲間として認める、仲間外れにしないという仲間意識の基本で、所謂ポリシーも無く、ファッションよりトレンドもシンドロームに近いといえる。
流行の携帯電話も全く同じで、今別れた相手に掛けるのは、一人になった不安から、とりあえず友達だという確認を、片時もしなくてはいられないのだ。
独りで育った者が、友を得て、認めあい、思いやりのなかで人間関係を育み、最上の親友を得る、難しい時代なのだろうか?
at 18:24, houwa-sugano, ちょっといい話
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第37話 本物を識る
ブランド・ブームといわれて久しい。
東京銀座の街は、外国の一流店が団体で越して来たようで、つい先日もフランスの老舗が開店し、マスコミが大挙し、さながらスーパーのバーゲンセールのごとき感で、大方の識者の顰蹙(ひんしゅく)をかった。
何時、大層なブランド嗜好になったのか?急に日本人の感覚が洗練されて、本物が持つ良質さとセンス、更に繊細なエレガンスを会得し、身につけたかはどうも怪しい。
円高とバブルの余波で、金銭と見栄で買い漁っているのが本音かもしれない。
しかし、反面では自分の物として手に持つということは、手段は別でも、本物を知るというか、本物が持つ質感や仕事振り認識する上では、実に意義ある賢明な事と言える。
ならば、最大の愛着を持って、至便に臆せず使いこなすことである。
市井の名もない職方の、洗練された手仕事や技術というか味や手触りの伝承は、使い手は充分に理解し納得し、使いこなし、使い抜いて、更に高度なさりげない批評眼を持っていることが極めて重要である。
使い手がずぼらで、本質の良さを理解しないと、職方は一人よがりで技が荒れたり、細工の上に更に細かい気配りの気負いと身上が覇気を失い、つい疎かにされてしまう。
現代はまさしくその危機の時代で、ブランドの嗜好だけに終わらず、本質を見極める事が人気の究極で、価値観も高まるものだ。
at 18:24, houwa-sugano, ちょっといい話
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第36話 伝承
日本の文化の伝承というものは、極一部のものを除いては、古来より血族意識と秘密性に守られて、器の水を一滴も残さず別の器に移すようにして伝わった。その型は多分お大師様が、密教を正嫡の弟子へ師資相承したあたりが因と思われるが、実に巧妙に確かな方法で、技や仕草が職方や芸人の家や人に、血統の字句が示すとうり継承された。
これは伝承の差別性ではなく、ものを伝え絶やさないという前提の上に、技を練磨し、さらに向上させるためであったと推測する。即ち、数多の弟子に技を競わせ、技量がそれに達せねば、継承はされないし、技の向上が伝承の将来を約束し、継ぐからである。
この事は、古典と言われるもの全てに当てはまるし、市井に隠れた名もない職方の技や、華やかに脚光を浴びる主役を陰で支える裏方にも、脈々と流れて受け継がれて来た。
しかし、昨今ではこの伝承方法が、極めて難しくなりつつある。
きちんと社会の認定を受けて、文化財として登録された家柄や古典の諸芸はまだしも、職人や商家のように将来を約束されない伝承は、風前の灯火のようなものもある。
原因は、将来を案じたり、苦労の報われなさを嘆いたり、継承者自らも他の仕事に憧れたりもすることにもあるが、実の所は、これらを育て養う、伝承を見守る、妥協を許さぬ、洗練された旦那衆の、厳しい眼力と批評が薄れたせいなのである。
at 18:22, houwa-sugano, ちょっといい話
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