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2007.10.31 Wednesday
第27話 冥界の鏡
世の中、人知れず隠れて犯した罪や社会悪を、一体誰が明快に裁くのだろう。
例えば、戦後の幾つかの疑獄事件である。
完全に有罪でありながら、その金銭の受け渡しが、確かな犯罪としての証拠を提供できない場合は、彼らに有罪の判決は下されない。
また、現代社会の歪んだ構造や、教育の荒廃が生んだ、ひそかで陰湿に繰り返される情報機器の犯罪や、校内の暴力や蔑視である。
腹立たしい限るであるが、その露見はほんの一部で、結果が死を招く大罪なのである。
では、この彼らの厚顔さが、法の裏側でまかり通ったとき、いったい誰が悪を裁くのか。
「浄頗梨(じょうはり)の鏡」。
冥界で亡者の一々の罪業を映しだす鏡。
「お前の行き先は地獄!」。よく冗談で口にする言葉である。実は、この言葉の中に、千金に値する生活規範が隠れている。
曾て、人々は自分の生涯が「冥界の鏡」に、克明に映し出される事を信じ、恐れ、恥じ、懸命に忠実に生き、来世に苦しみ、科の無いことを祈りながら生活した。
「それは単なる迷信」と、嘲笑するもよく、信ずるもまた良である。
しかし、21世紀の現代こそ、本能に赴くまま振る舞うのではなく、これだけは守ろうという「冥界の鏡」を、一人一人が必ず持ちたいものである。
例えば、戦後の幾つかの疑獄事件である。
完全に有罪でありながら、その金銭の受け渡しが、確かな犯罪としての証拠を提供できない場合は、彼らに有罪の判決は下されない。
また、現代社会の歪んだ構造や、教育の荒廃が生んだ、ひそかで陰湿に繰り返される情報機器の犯罪や、校内の暴力や蔑視である。
腹立たしい限るであるが、その露見はほんの一部で、結果が死を招く大罪なのである。
では、この彼らの厚顔さが、法の裏側でまかり通ったとき、いったい誰が悪を裁くのか。
「浄頗梨(じょうはり)の鏡」。
冥界で亡者の一々の罪業を映しだす鏡。
「お前の行き先は地獄!」。よく冗談で口にする言葉である。実は、この言葉の中に、千金に値する生活規範が隠れている。
曾て、人々は自分の生涯が「冥界の鏡」に、克明に映し出される事を信じ、恐れ、恥じ、懸命に忠実に生き、来世に苦しみ、科の無いことを祈りながら生活した。
「それは単なる迷信」と、嘲笑するもよく、信ずるもまた良である。
しかし、21世紀の現代こそ、本能に赴くまま振る舞うのではなく、これだけは守ろうという「冥界の鏡」を、一人一人が必ず持ちたいものである。
at 14:41, houwa-sugano, ちょっといい話
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2007.10.24 Wednesday
第26話 豊かさのうらがわ
このごろすこし変で、折角物が豊かにあって、生活水準が上がったと思うのに、自分だけ良いように考えて、他の人は無視するか、差別するばかりです。
子供のころ、物が一つしか無いのはあたりまえで、ラジオも一つ、テレビも一台、ごはんのおかずだって、兄弟が沢山いるのに、一つのお皿や丼に一緒盛でした。
そりゃァ、チャンネル争いや、兄や姉に御菜をとられるたびに喧嘩もしました。
でも、喧嘩をしながらも、自分だけが良い思いをするなんて、利己的な考えはありません。
部屋だって、布団も一つだったんです。
だから、暑い時はなんとか涼しく、寒いときは体を付けあって、ワイワイと寝ました。
お互いにいつも相手のことを考え、相手のいいように、自分だけ得をしようなんて思わなかったんです。
今、学校へ通うと、いじめや暴力や差別が始まります。不思議でなりません。学校はみんな仲良くする所です。
どうも、いまの世の中、なんでも豊富で、生まれたときから全部自分ひとりの物が多すぎて、相手が素敵な物を持っていたり、自分より劣っていたりすると、すぐに妬んだり、ばかにしたり、いじめたり、暴力を使って自分の思いどおりするのではないでしょうか。
子供の時から一人部屋、豊富で、侵されない生活は、思いやりのない、協調性に欠けた自己中心的な人格を創りあげるようです。
子供のころ、物が一つしか無いのはあたりまえで、ラジオも一つ、テレビも一台、ごはんのおかずだって、兄弟が沢山いるのに、一つのお皿や丼に一緒盛でした。
そりゃァ、チャンネル争いや、兄や姉に御菜をとられるたびに喧嘩もしました。
でも、喧嘩をしながらも、自分だけが良い思いをするなんて、利己的な考えはありません。
部屋だって、布団も一つだったんです。
だから、暑い時はなんとか涼しく、寒いときは体を付けあって、ワイワイと寝ました。
お互いにいつも相手のことを考え、相手のいいように、自分だけ得をしようなんて思わなかったんです。
今、学校へ通うと、いじめや暴力や差別が始まります。不思議でなりません。学校はみんな仲良くする所です。
どうも、いまの世の中、なんでも豊富で、生まれたときから全部自分ひとりの物が多すぎて、相手が素敵な物を持っていたり、自分より劣っていたりすると、すぐに妬んだり、ばかにしたり、いじめたり、暴力を使って自分の思いどおりするのではないでしょうか。
子供の時から一人部屋、豊富で、侵されない生活は、思いやりのない、協調性に欠けた自己中心的な人格を創りあげるようです。
at 14:40, houwa-sugano, ちょっといい話
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2007.10.17 Wednesday
第25話 散骨
1991年10月5日「葬送の自由をすすめる会」が、神奈川県相模灘の外洋で、遺骨を海へ撒くという、自由葬「散骨」を実施した。
このことは、戦後50年余りを経た現在も、遠く戦地に残された戦死者の遺骨を、何としても祖国へ持ちかえりたいと切に想う日本人の情感に、全く異質の民族性が突如芽生えたかのような、違和感を投げかけた。
古来、遺骨は必ずお墓に納めるもので、お墓以外に収まるところは無く、だからこそ遠く外地へ赴き、無名の遺骨であっても遺品と共に収集し、せめて日本の地に埋葬してあげたいと誰しもが願い、合葬されたそのことだけでも、故人の無念を晴らした事として、想いを偲んだ。
そんな日本人の情感とは異質の行為は、驚きと侮蔑の眼で迎えられると直感したが、思い過ごしで、一部では歓迎され、極めて好意的にマスコミに取り上げられ、後に続く人もふえた。
早速、法務省刑事局は「刑法190条の規定は社会的習俗としての宗教的感情などを保護するのが目的だから、葬送のための祭祀で節度をもって行なわれる限り問題は無い」とし、厚生省も現行の墓地埋葬法には抵触はせず「国民の意識、宗教的感情の動向を注意深く見守って行きたい」という見解を示した。
今、日本人の生死の行方は、自由という権利主張で変質し、寄り添い、助け合い、託しあう、共生の瓦解がはじまっているのだ。
このことは、戦後50年余りを経た現在も、遠く戦地に残された戦死者の遺骨を、何としても祖国へ持ちかえりたいと切に想う日本人の情感に、全く異質の民族性が突如芽生えたかのような、違和感を投げかけた。
古来、遺骨は必ずお墓に納めるもので、お墓以外に収まるところは無く、だからこそ遠く外地へ赴き、無名の遺骨であっても遺品と共に収集し、せめて日本の地に埋葬してあげたいと誰しもが願い、合葬されたそのことだけでも、故人の無念を晴らした事として、想いを偲んだ。
そんな日本人の情感とは異質の行為は、驚きと侮蔑の眼で迎えられると直感したが、思い過ごしで、一部では歓迎され、極めて好意的にマスコミに取り上げられ、後に続く人もふえた。
早速、法務省刑事局は「刑法190条の規定は社会的習俗としての宗教的感情などを保護するのが目的だから、葬送のための祭祀で節度をもって行なわれる限り問題は無い」とし、厚生省も現行の墓地埋葬法には抵触はせず「国民の意識、宗教的感情の動向を注意深く見守って行きたい」という見解を示した。
今、日本人の生死の行方は、自由という権利主張で変質し、寄り添い、助け合い、託しあう、共生の瓦解がはじまっているのだ。
(注) 刑法190条
【死体遺棄等】死体、遺骨、遺髪又は棺内に蔵置したるものを損壊、又は領得したる者は3年以下の懲役に処す
at 14:38, houwa-sugano, ちょっといい話
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2007.10.10 Wednesday
第24話 死後の決定権
1992年、「サザエさん」で有名な漫画家長谷川町子さんが亡くなった時、個人の遺言で35日間公表を伏せたことが始めてのように記憶するが、その後有名な方では柴又の寅さんの渥美清さんが、1996年「死んだ顔を見せるな。家族で送り、骨にしてから公表しろ」と、世を去った。
同じ年、名女優で、素敵な随筆家であった沢村貞子さんが、「葬式の自由をすすめる会(会長安田睦彦)」に入会、先亡の映画評論家のご主人大橋恭彦さんの遺骨を納骨せずに安置なされていて、共に自宅から望める神奈川県相模灘に散灰(自由葬)された。
どなたも、大騒ぎせずに、自分らしく世を去りたい、私人としての矜持をお持ちで、清々しくて、とても人間性が感じられた。
勿論、法的にも規制が無いわけで、法務省刑事局や厚生省も、節度や、国民の意識、宗教的感情の動向を見守る、コメントをした。
しかし、宗教家の端くれには、何とも寂しく、事後を無心に託する、人間関係への甘え(全てを残されたものへ託す)があっても良いのでは無いのかと、忸怩たるものがあった。
曾て、死後は託すもので、死んだ後のことまで、自分で決めることは無かった。
それでも、残された遺族は供養をし続け、33年後の回忌もきちんと勤めた。
普段、他を思っていないと、思われなくていい、「自分の事は自分」なのだろうか。
ファンあっての生業だから、一層感じた。
同じ年、名女優で、素敵な随筆家であった沢村貞子さんが、「葬式の自由をすすめる会(会長安田睦彦)」に入会、先亡の映画評論家のご主人大橋恭彦さんの遺骨を納骨せずに安置なされていて、共に自宅から望める神奈川県相模灘に散灰(自由葬)された。
どなたも、大騒ぎせずに、自分らしく世を去りたい、私人としての矜持をお持ちで、清々しくて、とても人間性が感じられた。
勿論、法的にも規制が無いわけで、法務省刑事局や厚生省も、節度や、国民の意識、宗教的感情の動向を見守る、コメントをした。
しかし、宗教家の端くれには、何とも寂しく、事後を無心に託する、人間関係への甘え(全てを残されたものへ託す)があっても良いのでは無いのかと、忸怩たるものがあった。
曾て、死後は託すもので、死んだ後のことまで、自分で決めることは無かった。
それでも、残された遺族は供養をし続け、33年後の回忌もきちんと勤めた。
普段、他を思っていないと、思われなくていい、「自分の事は自分」なのだろうか。
ファンあっての生業だから、一層感じた。
at 14:36, houwa-sugano, ちょっといい話
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2007.10.03 Wednesday
第23話 映像の嘘 III
S・スピルバーグの「ジュラシック・パーク」や、「ゴジラ」をご覧になっただろうか?
SFXを駆使する90年代の映画産業は、ハイテク技術革新の企業戦争と言われ、80年代後半から発達したデジタル技術により、 CG(コンピュータ・グラフィックス)作品が軒を連ね、ドラマ作品「フォレストガンプ」にも使用されるようにもなった。
このことは、映画産業のみに止まらず、玩具やゲームにも取り入れられ、世を挙げてCG時代の幕開けとなった。
テレビゲーム等も、極めて精巧で実際的な、効果の高い成果を上げ、プラティカル・エフェクトといわれる、迫力と凄みを、より求めるようになった。
こうなると、映像を見る側にとっては、どれが本物で創りものかは、判断する事は容易ではなく、誕生と同時にその映像画面にだけ慣れ親しんだ者にとっては、全てが本物という実感が湧いてくる。ここに映像の嘘を、本当と思い込む故の非情な悲劇が生まれる。
所謂「十七才の犯罪」の病巣である。
映像の嘘を本当と思い込む妄想は、現実と空想の境がなく、両方の世界が同時に進行し、あたかも実存するごとく、日常に現れる。
人を殺しても、傷つけても、痛みや血で汚れる事もなく、破壊音さえ効果音に聞こえる。
暗い部屋で映像を凝視する眼は、妄想と現実を惑わせて、人間とは別の人格を創るのだろうか。
SFXを駆使する90年代の映画産業は、ハイテク技術革新の企業戦争と言われ、80年代後半から発達したデジタル技術により、 CG(コンピュータ・グラフィックス)作品が軒を連ね、ドラマ作品「フォレストガンプ」にも使用されるようにもなった。
このことは、映画産業のみに止まらず、玩具やゲームにも取り入れられ、世を挙げてCG時代の幕開けとなった。
テレビゲーム等も、極めて精巧で実際的な、効果の高い成果を上げ、プラティカル・エフェクトといわれる、迫力と凄みを、より求めるようになった。
こうなると、映像を見る側にとっては、どれが本物で創りものかは、判断する事は容易ではなく、誕生と同時にその映像画面にだけ慣れ親しんだ者にとっては、全てが本物という実感が湧いてくる。ここに映像の嘘を、本当と思い込む故の非情な悲劇が生まれる。
所謂「十七才の犯罪」の病巣である。
映像の嘘を本当と思い込む妄想は、現実と空想の境がなく、両方の世界が同時に進行し、あたかも実存するごとく、日常に現れる。
人を殺しても、傷つけても、痛みや血で汚れる事もなく、破壊音さえ効果音に聞こえる。
暗い部屋で映像を凝視する眼は、妄想と現実を惑わせて、人間とは別の人格を創るのだろうか。
at 14:34, houwa-sugano, ちょっといい話
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